夏休み 松本 ②
2009年 07月 18日
旧制高等学校は特別の意味をもって全国各地に開校され
各地の優秀な生徒が集まったと言われます。
松本高校もその一つです
のちにこの高等学校が大学に移行されたのですね。
ちなみに松本高校はのちの信州大学になりました。
この高等学校が廃止になるまでに多くの人材が世に出たのです。
唐木順二、臼井吉見、北杜夫、辻邦生・・・。
大正デモクラシー思想を反映した本館と講堂はヒマラヤ杉の並木とともに
重要文化財として保存されあがたの森とともに今は市民の憩いの場所となっているようです
この階段、この窓、教室・・・・。
あのころの学生は大人であり子どもでありおおらかでバンカラ。
みんなここを語りながら笑いながら走り回っていたのだろうか
北杜夫さんと辻邦生さんの青春の日々は・・・?
記念館であの頃の学生の写真を見るとなんだか、セポアで遠いけれど
笑い声、話し声が聞こえてきそうな気がした・・・・。
窓から外をのぞく青年・・・未来は前途洋々ね・・そう祈るね
松本・・高校・・という言葉で私が反応するのは あのドラマ 「白線ながし」
1作目から最終章まで全部見て彼らのもどかしい青春に涙したり、行く末にはらはらしたり。
娘にドラマの舞台の場所はどこかしら?
あの卒業式に白線流しをした川はどこ?なんて聞いて・・
困った娘が観光会館で松本ロケ地マップをもらってきてくれた(笑)
渉と園子はどうしてるかなあ~**(笑)
そしてその日のうちに軽井沢へ♪
いらしたんですね、旧制松本高校跡!
ここへ行くと私には辻邦生と北杜夫の話す声が聞えてくるような気がします。
北杜夫の「どくとるマンボウ青春記」には、彼らの生活ぶりが描かれていて、高校生だった私は彼らをとても羨ましく思いました。
時代は暗いときでしたが、ここにはまだ自由があったんですよね。。。
ここでの経験が後の彼らの作品に、よい意味で影響を与えているのだな、と思いました。
軽井沢へ8月の8日と22日に行きます。
どちらも日帰りですけれど、往復書簡を見てきますね~
セピアの香りだけでもと行ってきました。
実はお恥ずかしいけれどどくとるマンボウ青春期を
読んでいないのです。
まずはそこから読んでみますね。
辻邦生展に間に合わなくてとても残念でした;;
辻さんの奥様と辻山荘の建築家の磯崎氏とのお話にも
行かれるのですね。
これもすごく興味アリですがまたお戻りになったら
お話聞かせてくださいね。
で、その人に連れ行ってもらいましたよ、松本城↓。なんだかいろいろ説明してもらったはずなんですが、覚えてませんw。そんなもんですねw。
そういえば白線流しって松本が舞台だったんですよね~。ちょうど当時中学高校生だったので、「私もやりた~い」と思ってたんですが、受験が卒業式の後なのでそんなことができるはずもなく、夢は夢のまま終わってしまいましたw。
あぁ懐かしい~!懐かしすぎてPCの前で悶絶(笑)
街の風景も、お城も、白線流しの舞台の薄川(すすきがわ)も旧制松本高等学校の森も全部!涙出そうです・・・(ToT)
薄川で子どもと川遊びした思い出や、商店街でブラブラしたこと。町内の行事で松本城の天守閣の掃除をしたこと。子どもを自転車に乗せて、お城のお濠の脇を漕いで幼稚園へ送って行ったこと。子育てに一生懸命だった頃を想い出すと、胸が熱くなります。
白線流し、私も大好きでした~~子どもが通っていた幼稚園の教会でロケがあって、保護者の方と大騒ぎしたことがあります。当時の園長先生も牧師役で出演しました。今でも渉と園子が松本で暮らしているような気がしますね^^
子どもが小さかった時にいつも出かけた場所に夫婦だけで行くのは寂しいですね。我が家もあと数年でそんな感じになりそうです。。。
ご主人のおっしゃる「年に一度、同じ場所で過ごすことに意味がある」それものすごく分かります~~また健康で家族揃って来れたね。という気持ち。本当にそうですね
その話じっくり聞かせてくださいね。♪
松本はいい思い出の街なのですね。
白線流し・・青春ものが大好きな私はすっかり高校生に
なって見てました。大人になっていく彼らの日々に重ねてみた
自分・・・。ふぅ懐かしい~**^::
とてもいい街ですね。
娘と何度も来てよかったねと話しました。
私の歩いた松本の景色がゆうさんに懐かしく思っていただけて
嬉しいです。
もう一度ゆっくり歩いてみたいです。
そういう一日でしたか。本当に人の一生はわからないものですね。
それでも見えないからこそ大事に楽しく今を懸命に生きることが
大切なのでしょうね。
私こそ鍵さんとの出会いを感謝しています。