ふけゆく秋の午後
2015年 11月 07日
蚊もいなくなり、外でおやつタイム♪
おやつを食べながら物思う晩秋の庭タイム。
ふけゆく秋の夜 旅の空の
わびしき思いに ひとり悩む
恋しやふるさと なつかし父母
夢路にたどるは さとの家路
ふけゆく秋の夜 旅の空の
わびしき思いに ひとり悩む
窓うつ嵐に 夢もやぶれ
はるけきかなたに 心まよう
恋しやふるさと なつかし父母
思いに浮かぶは 杜のこずえ
窓うつ嵐に 夢もやぶれ
はるけきかなたに 心まよう
こんな唱歌が心によぎります。
恋しやふるさと なつかし父母
夢路にたどるは さとの家路
すでに他界した両親の時代
両親と私達、姉妹がいつも囲んでいたテーブルが目に浮かびます。
故郷といえる場所は横浜の家。
この家で過ごした日々は今も鮮明に記憶に残っています。
なんでもすぐ忘れてしまうのに不思議ですね。
柳田邦男の著書に引用されていた文章によると
もっとも遠い過去の黄金時代はもっとも幻想的な将来とひとつになしている
自分の源泉、起源、無心さ、に年老いてもどる人間は自分の行ったことのない
ところにもどり、かって観たことのないものをふたたび見るのだ
幼少期、青春時代に豊かな内面的経験を心に刻んだ者は、
歳月を経てからでも、その懐かしさに満ちた経験に回帰することによって、
明日を生きるいのちの泉をふたたび活性化できるのだ。
最近とみに母の若かった頃を思い出す私。
でもそれはただの回顧ではなかったのね。
そしてこう書いてありました。
幼少期や青春時代に美しいものにひたる経験は生涯の生き方を
左右するほど大事なことだと。
過去なんて振り返らないわ!なんていう方もいますよね。
でも私は過去の思い出の中で姉と廊下に腰掛けて大きな声で唱歌集を歌ったことが
今も昨日のことのように楽しい思い出としてその時にタイムスリップしてるんです~**
晩秋の午後
居眠りしたり、物思いをしたり・・・・。
こんな時間がため息を消してくれるような気がします。
でもまだまだ今を生きる!私でありたいです~**
鎌倉ケイティスタイル フラワーアレンジ
先生のお話、レッスン、仲間の方たち。
お休みすることも年間を通すと多いのですが、参加できるときは
やはり嬉しく先生、メンバーの皆様の笑顔にほっとしてしまいます。
私もひょんな事、例えばいつもと同じようにお茶をいれたのに、何故かその日に限って遠い昔、母がいれてくれたお茶の香りと味をその時の情景や母の言葉と一緒に思いだす事があります。
そんな時の私は小さい頃の私になって甘やかな気持ちになっています。
私も同じです。
>そんな過去があるからこそ今の私ですし、もう今では、そんな私でも愛しいなあと自画自賛する日々ですわ
kanaさんの言葉にうんうんとうなづいてしまいます。
巴里でお話させていただいて何度か思考が一致する場面が多くて嬉しかったんですよ。
私たちの思い出への旅はすっかり余裕の甘い思い出?そう、それはきっとこれからの日々、もう少しある未来へのの活性化に繋がっているということなのでしょうね。
思い出の旅・・お茶でも飲みながらいっぱいして過去からの贈り物を頂いちゃいましょう。この旅0円 心には 値千金~**(笑)
亡母は緊急入院する数年前から認知症の気配がありまして。
入院した途端、女学生時代に戻りました。
その当時が母にとって最高に幸せな時間だったのでしょうね。
“歳月を経てからでも、その懐かしさに満ちた経験に回帰することによって、
明日を生きるいのちの泉をふたたび活性化できるのだ。”
今が分からなくても、母はその当時に回帰することで
母なりに活性化したのでしょう。
心から納得し、安堵し、ちょっぴり泣きました(苦笑)
明日25年ほど月一回ですが通ったお教室とその仲間と最後のレッスンを
迎えます。それが私の人生の贈り物だったか改めて感じ入ってます。
それも若さと許してくださった人たちに今、感謝したいです。
親との思い出は数多く、秋になると母がキノコの炊き込みご飯と
セットで茶碗蒸しを作ってくれたことを思い出し今の私がそれをセットで作る、、
母の歳になりました。
このようなことを思い出させてくださった
今日のコスモスさんのブログに感謝いたします。
先日は心にしみるお手紙をありがとうございました。
あの時間の見つめ方と感じてくださった想いから私もまた自分の思い出や
浮かぶ記憶、思いにいろいろ馳せることが出来ました。
お母様のお気持私もおこがましいですが察することが出来ます。
ご両親への鍵様のお気持今は亡き私の両親への想いにつながり私まで
ほのぼの温かい気持にさせていただきました。またゆっくりお話できますように。
ご様子はきっとどりさんには切ない場面も多かったとお察しいますが、
お母様もまた幸せな人生を全うされたのだと安堵なさることがきっと
お喜びになるのではないでしょうか。
これは私のことですが人はどんなにやれることをやったとしても
悔いは残るものですがそれでいいのだと思えるようになりました。
ズルをしないで懸命にしたことがその時の私の一番の力なんだと
妙にお気楽な私の納得方法でが最近の私です。相変わらずお気楽?(笑)
どりさん。心情を綴ってくださってありがとうございました。
お稽古を25年続けることの素晴らしさも素敵ですがどりさんの生き方の
ひとつにふれた思いです。これからの人生もお互い自分の思う歩き方を
していけたらいいですね。
今のすべての原点はお母様から繋がっているのですね。
お料理を通してはもちろん凛となさった生き方も大人のエレガンスも~**
お母様の季節の折々のお献立は私の母の思い出にも繋がり、ほのぼのいたします。
回帰できる思い出をたくさん持つことは素晴らしいことですね。
過去からの贈り物~**私もすべて含めて感謝したいと思います。
辛い時や迷った時、孤独な時、ふと思い出すのは子供の頃の母のこと。
(お気楽な私でもそんな時がありま~す)
亡くなった今でも、何かにつけて「お母さん、どうしよう?」と話しかけています。
答えは聞こえなくても、心が落ち着きます。
何気ない家でのひとときを大事にしたい、といつも思って子育てしてきました。
それが娘にも受け継がれているようで、嬉しい私です。
また、最近母の夢を見るようになりました。
多分、母を亡くした時期は私が皆さんの中で一番最近(あ、どりさんと同じくらい?)
だと思いますが、亡くなった当初はまったく母の夢を見ませんでした。
でも最近、母はとっても若いころの母で夢に登場します。
そのときは、本当にうれしい、、、
早く母のところに行きたい、、、なんてそれはないな、、、(笑)
この唱歌、文字で見るともの悲しいですね、、、(涙)
作っている母の姿など浮かびます。
いつも冷静で大人のてぶくろさんですが、お気持にふれて親への想いは
変わらないのだと嬉しい思いにさせていただきました。
>何気ない家でのひとときを大事にしたい、といつも思って子育てしてきました。
そのとおりにお嬢様たちも今はご自分の家庭もそうされているのですね。
私もそのように娘たちが受け継いでくれればいいなあと思います。
日々の暮らしのひと時を慈しむ気持は本当に大切ですよね。
そのときは突然でしたものね。気づかぬ気持の奥に死を受け入れてない部分が
あったのかもしれませんね。
>でも最近、母はとっても若いころの母で夢に登場します。
そのときは、本当にうれしい、、、
この部分で涙が出てしまいます。
私の母は75歳で逝きましたがその頃「不思議ねえ、今でも自分の母がいてくれたらと
思うのよと」と言いました。
あまり感じなかった気持が今は痛いほどわかるのですよ。
>早く母のところに行きたい、、、なんてそれはないな、、、(笑)
それはないよ。(笑)
私たちはまだまだ空まで行くのは早すぎます!
micciさんたくさん歳を重ねてからいってもあちらではもう歳を取らないお母様が
若々しく待っていてくれますから~