ある接点 展示と映画を観る
2018年 04月 04日
戦下の人々、生き抜く姿 「写真家 沢田教一展ーーその視点の先に」

沢田氏の写真に興味を持った次女の夫のjeffと横浜高島屋ギャラリーへ初日に
他の用事もあったので行ってきました。
泥沼に近いベトナム戦争の中、沢田氏にピュリツァー賞をもたらした「安全への逃避」
米軍の爆撃から逃れ、必死の形相で増水した川を渡る2組の親子。
軍服姿の沢田が向けるレンズに怯えた表情を浮かべる。
この戦争は米軍が農村を攻撃する戦争だったと語る
当時ベトナムで活動した他のカメラマン。
南ベトナム解放民族戦線がいると無差別に農村を爆撃して子供達が
いのちを落とし親を失う。まさにこの戦争の縮図がそこにあった。
沢田氏は安全への逃避でベトナム戦争の本質を世界に伝えた。
この誰もが一度は見たことがあろうこの川を渡る親子の写真。
この時は一滴の血も流れず米軍も銃を撃たなかったという。
会場には戦火でも町や村のひとたちが、笑顔になる瞬間もとらえた写真なども
沢山あり、生きていればこその写真にわたしも観入ってしまった。
そして映画 ベンタゴンペーパーズ 最高機密文書

深く考えずに観にいった映画でしたが、奇しくも、こちらもベトナム戦争当時の
隠された国家機密をめぐる報道の自由と隠す国家との攻防を描いていました。
当時もう負けるかもしれないという状況のアメリカが優勢を装い、
若き兵士を戦場に送り続けて、多くの戦死者を出している事実を隠していたことを
含め膨大な量になる真実を機密文書に残していたのだ。
その文書がある者から新聞社へ渡ったことから報道するか否かの長い時間が始まる。
新聞社がその文書を公表することには大きなリスクを背負うということだった。
当時の新聞社とホワイトハウスは結構親密な関係でもあったらしい。
それゆえの公表までの反対、賛成、司法からの軋轢は簡単に公表できない
重石でもあったのだ。
戦地で戦う何も知らない兵士やその家族、犠牲がどんなに大きくても
負けを宣言する大統領になりたくないなんていうそんなことで
死んでゆくなんて・・・。
当時はあのニクソンが大統領でした。
ラストはもちろん機密文書を公表するのですが
そのときリスクを背負っても告発した彼らのする言葉に大きな意味があるのです。
この映画ある程度この時代の知識があるとわかりやすいのですが、
知らないで観ると退屈する部分もあるかもしれませんね。
このあと当時の大統領が今度はウオーター事件で失脚することになります。
今の時代と重なる隠された文書
ベトナム戦争は誰もが悲痛な想いを抱いたという。
映画で描かれるより澤田さんの写真から見える真実は
比べてはいけませんがより大きく胸をさします。
個人的感想にお付き合いをありがとうございました。
150点の写真は初めて見るものばかり。
沢田氏は本当はその国の風土をとるのが夢だったとか。
多くの賞をとり各方面から、誘いを受けても
彼はいろいろな国の風土、風物をとりたかったとか。
ようやくその夢を叶えようとカンボジアの取材中に
1970年10月28日34歳で凶弾に倒れてしまった。
ベトナム戦争の悲惨さは直接には知らなくても多くのその後映画が作られ
教えられました。
アメリカも多くの犠牲車を出していたのに。
多くの若者が死んだのに。
止めなかった。
あのベトナム戦争はなんだったのだろう。そして映画 ベンタゴンペーパーズ 最高機密文書

隠された国家機密をめぐる報道の自由と隠す国家との攻防を描いていました。
当時もう負けるかもしれないという状況のアメリカが優勢を装い、
若き兵士を戦場に送り続けて、多くの戦死者を出している事実を隠していたことを
含め膨大な量になる真実を機密文書に残していたのだ。
その文書がある者から新聞社へ渡ったことから報道するか否かの長い時間が始まる。
新聞社がその文書を公表することには大きなリスクを背負うということだった。
当時の新聞社とホワイトハウスは結構親密な関係でもあったらしい。
それゆえの公表までの反対、賛成、司法からの軋轢は簡単に公表できない
重石でもあったのだ。
戦地で戦う何も知らない兵士やその家族、犠牲がどんなに大きくても
負けを宣言する大統領になりたくないなんていうそんなことで
死んでゆくなんて・・・。
当時はあのニクソンが大統領でした。
ラストはもちろん機密文書を公表するのですが
そのときリスクを背負っても告発した彼らのする言葉に大きな意味があるのです。
この映画ある程度この時代の知識があるとわかりやすいのですが、
知らないで観ると退屈する部分もあるかもしれませんね。
このあと当時の大統領が今度はウオーター事件で失脚することになります。
今の時代と重なる隠された文書
ベトナム戦争は誰もが悲痛な想いを抱いたという。
映画で描かれるより澤田さんの写真から見える真実は
比べてはいけませんがより大きく胸をさします。
個人的感想にお付き合いをありがとうございました。
澤田氏のこの写真を新聞の一面で見た日の衝撃は今も忘れません。中学生の頃で、この写真について、ヴェトナム戦争について作文を書いたことを思い出しました。
後にヴェトナムに訪れた時もこの写真の印象を携えていましたので、ただの観光気分にはなれませんでした。
その後枯葉剤による障害もたくさんおきていますね。
この物質は今では大変厳重に管理しなければならない物質として移動も処理も多額の費用がかかるものです。
そんなものをばら撒いて・・・戦争は本当にいやです。
一枚の写真の力は今もたくさんの人々の心を動かすのですね。
後にヴェトナムに訪れた時もこの写真の印象を携えていましたので、ただの観光気分にはなれませんでした。
その後枯葉剤による障害もたくさんおきていますね。
この物質は今では大変厳重に管理しなければならない物質として移動も処理も多額の費用がかかるものです。
そんなものをばら撒いて・・・戦争は本当にいやです。
一枚の写真の力は今もたくさんの人々の心を動かすのですね。
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lilyさん。私も当時報道される泥沼のベトナム戦争の
終わりなき戦いについて父からもよく聞かされました。
枯葉剤その名前を聞くとぞっとしますね。
沢田氏の写真からみえる戦争。写真の前で離れがたいものがありました。
終わりなき戦いについて父からもよく聞かされました。
枯葉剤その名前を聞くとぞっとしますね。
沢田氏の写真からみえる戦争。写真の前で離れがたいものがありました。
戦争の傷跡は今も沢山残り、映画や小説になって語られても、今だ戦争に向かうような人間、、大体は男性達ですが、、彼らは自分の身を守り、絶対に傷付かないのですよね。ナチスの中でもほかでも同じ事で、、、実際の映像や写真には圧倒させられますね。
ラパンさん*そうですよね。
あのナチスのホロコーストなどの写真はあまりにもで目を閉じてしまいます。
写真は真実を写し出しているのに、戦争は今の世も大丈夫?誰もが反対でも政治的に怖いことばかり。
平和な笑顔でいっぱいの子供たちが本当に安心して暮らせることが当たり前に名って欲しいですね。
あのナチスのホロコーストなどの写真はあまりにもで目を閉じてしまいます。
写真は真実を写し出しているのに、戦争は今の世も大丈夫?誰もが反対でも政治的に怖いことばかり。
平和な笑顔でいっぱいの子供たちが本当に安心して暮らせることが当たり前に名って欲しいですね。
学生の頃、この沢田氏の「安全への逃避」の写真に衝撃を受けました。
あの頃は、ベトナムの戦争はもう泥沼状態で、枯葉剤がもたらした障害、そしてナパーム弾の被害も信じられない物がありました。
第2次大戦で多くの人が亡くなったのに、未だに世界で戦争がなくなる事はありません。戦争でお金儲けをする人達もいて、話し合うより国家の威信とかいう物にガチガチになって戦争しなければという気になる人達。
戦争は、国が保障する最大の殺人行為だと思うんですけどね。
多くのカメラマンが、自身の危険も顧みずに撮った写真からのメッセージをちゃんと受け取らなきゃいけないですね。
あの頃は、ベトナムの戦争はもう泥沼状態で、枯葉剤がもたらした障害、そしてナパーム弾の被害も信じられない物がありました。
第2次大戦で多くの人が亡くなったのに、未だに世界で戦争がなくなる事はありません。戦争でお金儲けをする人達もいて、話し合うより国家の威信とかいう物にガチガチになって戦争しなければという気になる人達。
戦争は、国が保障する最大の殺人行為だと思うんですけどね。
多くのカメラマンが、自身の危険も顧みずに撮った写真からのメッセージをちゃんと受け取らなきゃいけないですね。
kanaさん、まさにお書きになった通りですよね。
幾度かの戦争を教訓にしているのか!
アメリカの世界への戦争介入。
大統領が変わる度に、何がしらの脅威を感じてしまいます。
最近でも化学兵器が使用されたニュースが。
澤田氏の写真からのメッセージ、心に響きました。
数年前のロバートキャパの戦争の写真が今も焼き付けられています。
本当に懲りない人間達。
幾度かの戦争を教訓にしているのか!
アメリカの世界への戦争介入。
大統領が変わる度に、何がしらの脅威を感じてしまいます。
最近でも化学兵器が使用されたニュースが。
澤田氏の写真からのメッセージ、心に響きました。
数年前のロバートキャパの戦争の写真が今も焼き付けられています。
本当に懲りない人間達。
by akicosmosA
| 2018-04-04 13:29
| 観る映画、舞台
|
Comments(6)

